2011年、60年を隔ててスリランカと 76 実は、次に日本側の小さな恩返しが存 在します。同じ島国である台湾とは、相互信 頼関係があって当然ですが、スリランカと私 達を結ぶのは「仏教」のようです。 2004年12月26日のマラッカ沖大地震によ る大津波に見舞われた時、同国は26年に 及ぶ内戦の真只中だったので、更に甚大 な被害を受けました。当時、日本でも東南ア ジア、南アジアに対し援助運動が高まりまし た。実は筆者も阪神淡路大震災で使った 解体済み仮設住宅をスリランカに送る仕事 に携わったことがあります。勿論、当時スリラ ンカ国内は二分されていたのですが、インド から手厚い支援を受けていた北部のタミー ル人と違い、国際的支援が乏しかった南部 (シンハラ族)の方は感謝が深かったようで す。彼等は仏教徒です。 2009年、内戦はW.カランナゴダ海軍大将 の海上完全封鎖作戦により、南軍が勝ち M.ラジャパクサ陸軍元師が首相に就任しま した。2010年11月の選挙で大統領になった 彼は戦争の英雄W.カランナゴダ海軍大将 を駐日大使に任命します。海軍一筋のキャ リアが外交官になるのは全く異例のことで すが、大統領としては、大切な駐日大使に自 分の最も信頼している人物を任命したに違 いありません。 W.カランナゴダ大将は2011年が明けて 着任準備に取り掛かります。予定は3月末。 ところが、直前の3月11日に東日本大震災が 起こってしまったのです。 当時の政権は隠し通しましたが、国際情 報は福島原発のメルトダウンを伝え、50ヶ国 以上の大使館は関西に仮移転してしまいま した。ところが、何と新大使は予定通り成田 に来日したのです。 「今こそ2005年に世話になった日本人に 報いる時だ。一人も帰国することなく日本に 恩返しするのだ」。新大使は、こう在日同胞 に告げました。天皇への信任状奉呈が遅 れる中、放射能を恐れることなく、彼は福島・ 宮城・岩手に自ら出張し、義援金とスリランカ カレー、そしてスリランカ紅茶を住民の皆さ んに直接プレゼントしたのです。彼は自分の 危険を考えることなく、信義を尽くしました。 kantei.com情報でそれを知った私は、一度 彼に会いたいと思い、外務副大臣(当時)の 紹介を貰いました。 高輪・伊皿子交番隣のスリランカ共和国 大使館。小さなビルに相応わしくない巨貫、 190㎝、100㎏。ヒゲは濃いが優しい目が印 象的。少し巻き舌の英語は聞き取りにくい。 これがW.カランナゴダ特命全権大使閣下 だった。何故か気が合って2年近く夫婦ぐる みで付き合ったのですが、良いことばかり続 きませんでした。2014年11月の選挙でラジャ パクサ大統領が失権し、新政権により任を 解かれた大使は、翌年2月末日に急遽帰国 することになりました。私は帰国後の彼の処 遇を心配しました。親族が発展途上国の政 変に巻き込まれるとしたら どう感じますか?私の心配 の深さをご理解いただけ ると思います。「処遇」とは 「命」を意味するのです。 実際問題、決して口に は出しませんでしたが、彼 は帰国後辛い日々を送っ たようです。コロンボで会う 時、ガードマンを常に従え、 胸のピストルを見せてくれた時、常に命を張 る軍人である彼の立場を再認識しました。 そして、2019年9月19日には、反対政権下 にも関わらず、Admiral of the Flee(t 終身 海軍元師)として恒久的な栄誉を与えられ ました。その2ヶ月後の選挙で元大統領の W.カランナゴダ海軍元師 被災地に自ら出向きプレゼント
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