Founding Line「右脳活性」

右脳を活性化して“豊かな人生”を味わう

右脳を活性化して
“豊かな人生”を味わう

人生を豊かにしてくれるのは感性を司る「右脳」です。
ひととき煩わしいことを忘れ去り味覚や食感を楽しみ切る時間は
実は右脳を「活性化」する貴重な“好機空間”なのです。

人生を豊かにしてくれるのは
感性を司る「右脳」です。
ひととき煩わしいことを忘れ去り
味覚や食感を楽しみ切る時間は
実は右脳を「活性化」する
貴重な好機空間なのです。

右脳は、身体の左側の働きを支配しています、と同時に感性を司ります。左脳は計算・論理的思考などを担当しています。
一般人は社会生活のためにもっぱら左脳を使っているのですが、人生、理屈では乗り切れないトラブルもあります。経験として記憶されているのは左脳の領域。経験が人間性(DNA)と反応し、半ば本能的になったら右脳の領域です。
第六感(インスピレーション)は左脳にはやって来ません。活性化された右脳に吹き込んで来るのです。いくら左脳が活躍しても、過去の分析・説明が本質的仕事なので、未知領域に於ける決定(予知)はもっぱら右脳の役目です。

銀座 飛雁閣『Salon de Higankaku“News & Olds”』Founding Line「右脳活性」①
銀座 飛雁閣『Salon de Higankaku“News & Olds”』Founding Line「右脳活性」②

人生の一定領域に達した方々には右脳活性化をお勧めします。美術・音楽・文学など何のトクも得られない時間の浪費。しかし、実は人生を豊かにしてくれるのは左脳ではなく、感性を司る右脳なのです。
難しい言葉ですが、耽溺(たんでき:indulgence)する時間を毎日取りたいものです。音楽に集中するには時間が必要。読書も同様です。しかし美術鑑賞は街を歩いていても感性を磨くことができます。何も美術館に行かなくても、心がけ次第で美意識を磨くことができます。

「食事も右脳活性化には役立つ」可能性があります。
すべてを忘れ去り味覚や食感を楽しみ切る時間は、右脳活性化のチャンスなのです。難しいことは差し置いて、他愛のない想い出話でもしながら「料理長と真心の対話」をなさってください。
右脳主導になれば俗世間の価値観が変わります。視野が広くなれば、ひとつひとつに拘ったり悩んだりせず、理屈では探せなかった解決策が飛び出したりします。他人との関係が飛躍的に向上するかも知れません。「さなぎの生活から蝶々になる」 ― それは第2次元生活から第3次元生活への発展なのです。

銀座 飛雁閣『Salon de Higankaku“News & Olds”』Founding Line「右脳活性」②

右脳優勢にするには、ストレスのない環境が必要です。心にトゲが刺さらない時間を作るのです。「情に竿を差す」生き方は身体を「酸化」させます。酸化は癌をはじめとするあらゆる病の元凶です。
難関に対峙したとき、私はヨット操舵を想起します。向い風が吹いたとき大きく迂回して少しずつ風力を利用しながら進む智恵です。

飛雁閣では、材料を選んで丁寧に作るのは当然、心を込めてテーブルに運ばせて戴くのもスタッフの働き甲斐です。空気も水も、壁も装飾も、BGMでさえあらゆる雰囲気はお客様の右脳活性化のために構成されています。

銀座 飛雁閣『Salon de Higankaku“News & Olds”』Founding Line「右脳活性」③

《回顧》
勿論、右脳優先の思考回路には大きな欠点もあります。現実では考えを伝達しようと思っても的確な文章にならないので幾度も筆を入れる必要があります。自分本位の表現なので、読み手(相手)に正確に伝わらない可能性が高いのです。「分かりにくい」とか「変り者」だとか言われる回数を少なくするには、表現の端々を慎重にチェックして分かりやすく、主語・述語・目的語をきちんと統一する意識が必要です。

銀座 飛雁閣『Salon de Higankaku“News & Olds”』Founding Line「右脳活性」④

私には、人生の道を外れかかった苦い経験があります。
大学でアメリカ民主主義と新実存主義を学び、卒業後、ユダヤ系商社で働いたのですから、私はコテコテの左脳主義者でした。
「人情なんか、もってのほか」。ちょっとしたことで解雇は頻発するし、パワハラは当り前。よそ様の都合は受け入れず、すべて自分の論理で決定する「愚かな経営者」へと育ち、やがて、その仕事をしくじったのです。
理論的に正しいことを貫いて何が悪いのか? 同じ能力があれば若い経営者の方が優れている。
こんな考え方では部下や取引先が心を寄せてくれる訳もなく。ただ権力と利益のために形だけ従う人たちに囲まれていただけです。取引先に欺かれ、パートナーに裏切られ、部下の掌握に余計な神経を使い、さまざまな協力者に恵まれていたのに、結局は奈落の底に落ちてしまう。小3、小1の息子と妻とで夜逃げ同然で転居し、新しい人生をスタートせざるを得ませんでした。引っ越しの日は長男の誕生日、近所の小さな中華料理店でささやかなお祝いをしたものです。

あれから30年、私は失敗を重く捉え、人間性を大切に考えるようになりました。